どういうキッカケで

「私が東洋画に本統に親しみ始めたのは、大正一、二年の頃、尾道に住んでいた前後、精神的に非常に苦しく、神経衰弱でもあって、やり切れない気持で、それに近づいた。それまでは複製でではあるが西洋の美術に心を惹かれていたが、そういう精神状態の時には動的な要素の多い西洋美術では慰められる事が少なかった。どういうキッカケか、東洋の古い画を見、心の静まるのを覚え、以来、尾道の往復には必ず京都に寄って、博物館とか寺々に行ってそういうものを見る事によって、不安な苛々した気分を静めた。」
志賀直哉さんが昭和27年に発表された随筆から、冒頭の文章を引用してみました。ここで東洋画と西洋画のちがいを論じたいわけではありません。「どういうキッカケか」という言葉に、ひっかかりを感じました。
人は、どういうキッカケで、無断で店の商品を盗んだり、他人のバイクを壊したりするのでしょうか。どういうキッカケで、クラスメイトから苛められ、それを苦にして登校しなくなるのでしょうか。どういうキッカケで、勉強や部活動に対する意欲を失って、学校を休みがちになるのでしょうか。どういうキッカケで、働くことも人づきあいも、面倒くさいと放りだすようになるのでしょうか。そして、どういうキッカケで、彼らはまた、立ち直れるのか。
立山の学校で1年間さまざまな体験活動にとりくめば、いっきに人間性まで変えられる。そんな甘い期待は抱かないほうが良いでしょう。どういうキッカケで・・・山の学校のような林業実習に重きをおいた体験型教育施設の役割は、そこにあると思っています。平成22年度の第18期生徒の修了式が来週の火曜日に迫ってきました。今日は学校周辺の環境整備でした。また現在、平成23年度第19期の生徒を追加募集中です。